三津浜へのいざない
松山市は周辺を他市町村に囲まれ、港をもたず、臨海工業地帯の形成ができなかっ
た。戦時体制下の広域行政の必要性もあり、県の後押しで、盛んに周辺市町村に合併
を働きかけていた。三津浜町と六村(味生・和気・久枝・堀江・潮見・桑原)は、昭和15
年(1940年)8月に松山市に合併した。
わたし
1450年ころ、河野通春が港山に築城したときから始まる。港山に城をもつ通春は
対岸の三津から米や野菜、魚などを仕入れる必要から、専用の渡しをつくったのが始
まりだと言われている。大正の初めころまでは小舟を水竿で操り、その後、
手漕ぎ時代が長く続き、昭和45年(1970年)エンジン付き渡船となった。
お茶屋井戸
松山市立三津浜小学校の校庭に、藩政時代から「お茶屋井戸」と呼ばれる歴史的
な文化遺産がある。参勤交代の出発地は三津の港であった。潮待ちが第一の理由
から、衣装替えをしたり食事や仮眠をとるなど、いわゆる休憩、休息の場
(お茶屋)が必要となった。三津浜のこの地は、良質の真水が出たので
井戸を掘った。これが「お茶屋井戸」と呼ばれているものである。
歴史的な寺社
三津には由緒ある寺社が数多くある。
聖武天皇の時代(約1270年前)に、安芸の宮島の厳島神社より神様をお招きした
という厳島神社、陸・海・空の守り神である。さらには大銀杏と句碑の定秀
寺、臥龍の松で知られている善宗寺、三津浜小学校発祥の地と言われて
いる願成寺、恵美須神社、住吉神社等の歴史のある寺社が多い。
松江堂と愛媛県立女子師範学校の跡
松江の墓は、大可賀の共同墓地にあったが、今は三津公園(大可賀公園)の西隅
に松江堂が建てられ、墓をはじめ、顕彰の記念碑もそばにある。
三津公園の北に隣接して、かつて愛媛県立女子師範学校があった。
女子学生は、やがて女教師となり、子どもたちに貞節を貫いた「松江の
生涯とその生き方」を教えたと言われている。
昔がしのばれる街並み
三津は昭和20年(1945年)、松山大空襲のときも無事であった。
古いものと新しいものとが、いりまじったような街でもある。
昭和の初め(4年ころ)、県内に洋館ブームがあった。西洋風の建物
として、伊予鉄三津駅、白楊会館、石崎汽船ビル、三津浜図書館等が
挙げられる。
ただ、三津浜図書館は老朽化が進んだために取り壊しとなり、新しい
図書館が平成6年4月、新装オープンした。